バンコク滞在 [2013年6月1日(金)−6月15日(土)]

コンドータウンにて

退院から帰国までの滞在時間を過ごすのは、T社が借り上げているコンドータウンというレンタルマンションでした。リビングとベッドルーム、簡易キッチンにシャワー・トイレがあります。電子レンジや冷蔵庫、トースター、全自動洗濯機など設備も充実しています。

 

同じ建物の1階にはファミリーマートがあり、10〜15分歩けばセブンイレブンやロータスエキスプレス(ミニスーパー)などもあって、出歩ける状態にあるなら便利だと思います。

 

 

この部屋に、私はほとんどこもりっきりでした。ヤンヒー病院精神科で薬を出して貰ってはいましたが持病のうつ病の状態が思わしくなく、階下のごみ集積所にごみを出しに行くことさえ難しかったのです。

 

気持ちは奮わず身体は重怠い。それでなくとも大きな手術を終えて消耗し、長い入院生活で体力は落ちています。食欲もなく、好物の牛乳でさえ喉を通りづらい状態でした。

 

そんな私が一ト月ほども異国にいて何とかなったのは、T社の担当者Nさんが世話をしてくださったおかげです。入院中もいろいろ面倒を見て貰いましたが、退院後は更に沢山の用事をお願いすることになりました。

 

コンドータウンには朝食用の冷凍食品と飲料水が適宜補給されますが、それ以外の飲食物は基本的には自力で調達しなければなりません。これを私はNさんにお願いしていました。

 

Nさんは毎日、昼食と夕食を屋台で購入してコンドータウンに運んでくれました。屋台の食事はレストラン等の飲食店とは違う味わいがあり、また安価で、あまり食べられませんでしたが、愉しむことはできました。

 

また、三度の食事以外にも身体の回復によさそうな食べものや飲みものを択んで買ってきて食べさせてもくれました。

 

食事以外の買いものもして貰いました。日本から持参した下着が、手術後に着用するには少しゆとりが足りなかったので大きめの下着を購入することになりましたが、サイズやデザインを見立てて買ってきてくれたのはNさんでした。

 

患部を清潔に保つために必要な生理食塩水やおしり拭き、消毒に使用する脱脂綿や綿棒などの調達もしてもらいました。薬局へ行ったり、ヤンヒー病院でもらったりしてきてもらったのです。

 

タイでは排便後、トイレットぺーパーで拭くのではなく、小さなシャワーヘッドで肛門周辺を洗い流しますが、コンドータウンのシャワーヘッドは勢いがよすぎるので使わずにトイレットペーパーで拭いた後におしり拭きで拭っていました。

 

手術を受けた患部は毎日、消毒(洗浄)しなければなりませんが、これもNさんがしてくれました。患部が本人からは見えづらい場所ということもありましたが、私が気後れして自分でするのを怖がっていたせいもあります。

 

生理食塩水を含ませた脱脂綿で患部を拭い、消毒液を綿棒につけて傷を消毒し、ガーゼで保護するということを、毎日して貰っていました。いま思うと何を怖れていたのかよくわかりません。

 

退院後も風呂には入れなかったので、3日に1回程度、清拭をしてもらいました。ただ濡れタオルで拭うだけでなく、石けんで身体を洗い、頭髪も洗い、全身を拭ってきれいにしてパウダーをつけて貰いました。サポーターで保護された左腕を濡らしてはならず、その上で自分で頭や背中を洗うのは難しかったので大変助かりました。

 

うつ病の調子がずっとよくなかったため、臨時にヤンヒー病院(コンドータウンから自動車で1時間くらい)へ連れて行って貰い、精神科で受診することもありました(臨時通院はパッケージ料金とは別に、診察代を病院に、燃料代等をT社に支払う必要があります)。治療について疑問や不安が訴えれば直ぐに病院に電話で問い合わせをしてくれました。

 

ほかのT社利用者も担当しているのに、毎日私の部屋に顔を出して、必要なものを訊ねてくれ、ごみ出しまでしてくれていました。ほかの利用者のところに行っている間でも1日1回は必ず電話をしてくれて、必要なものがないか訊いてくれました。私が自分でしたことなど、ほとんどありません。

 

ほんとうに、Nさんには感謝をしてしすぎることがありません。

 

コンドータウンで私が何をしていたかというと、ほぼ一日中リビングのソファで横になっていました。

 

 

患部の場所が会陰部周辺なので長くすわっているのはつらかったし、うつ病が顕著だったためずっと目眩があったので横になっているのが最善だったのです。

 

ソファの正面にTVがあって日本の番組を見ることができるので、ずっとそれを流して見ていました。

 

何もできない状態でずっと過ごしていたので、時間がとても長く感じました。身体も弱っているし、そこにうつが重なって、精神状態はひどく悪かったです。

 

この記事をまとめている2014年6月現在はまったくそんなことはないのですが、このときは身体も気持ちもつらいし、大金を支払わねばならなかったし、それなのに予後がよくなく尿バッグをつけて生活しなければならなくて、再入院もしなければならないなど不安要素がたくさんあって、手術を受けない方がよかったのかもしれないとまで考えてしまいました。

 

でも、それは口に出したくはなかったので、誰にも言いませんでした。言わなくてよかったと思っています。いまは、手術を受けたことは一切後悔していません。

 

退院時に左脚に装着した尿バッグの容量は1リットルで、一杯になるには数時間かかります。ですから、夜の就寝時もそれほどしょっちゅう起きなければならない訳ではないのですが、うつが顕著だったので不眠気味で、1日中眠いのに眠れない日が続いていました。

 

尿バッグの下部には排水弁が付いていて、簡単な操作でたまった尿を捨てることができます。捨てる度にどれだけの尿がたまっていたかを、ナースに伝えるために記録する必要がありました。メモ用紙に尿を廃棄した時間とその量を逐一書き留めていきます。そうして書きとめたものはNさんが適宜ヤンヒー病院に届けてくれました。

 

再手術をした辺りから再入院を終えるくらいまで、帰国予定日をヤンヒー病院のナースやNさんに頻繁に訊ねられました。帰国予定日は6月16日、タイ滞在期間はきっかり1箇月です。

 

それが再手術、再入院で先延ばしになる可能性が出てきた訳ですが、1回の訪問につき30日以内の滞在でタイに入国する場合はビザの申請が免除されます。しかし、帰国日が延びるとビザ免除の期間を過ごしてしまうので、滞在期間延長の手続きが必要になります。それをナースやNさんは気にかけてくれたのです。私も気になりました。

 

それでなくともうつの状態というのは、何でもないことでも不安で心配でなりません。ビザ免除期間が過ぎたらどうすればいいのか、滞在期間延長の手続きとはどうすればいいのか、それが判らないので大変不安でしたが、結果として予定通りに帰国することができました。

 

再入院

6月11日(火)にヤンヒー病院に再入院しました。荷物は最低限(旅券や財布など貴重品が入った常時携行用鞄)だけ持って残りはコンドータウンに置いたまま、ヤンヒー病院に行きます。T社Y氏とNさんが同伴してくれました。

 

先ずは執刀医先生に診て貰うため外来に行きます。ここでも南国気質が見られ、医師が現れるまで随分待たされました。手術した部位の検診をして、「順調です」とお墨付きを貰いました。経過は良好のようです。

 

また、再手術の際に内視鏡で内部を見て、そちらも順調であることが確認できているので心配は要らないと言って貰いました。ただ、患部が蒸れているので、蒸れないように気を付けなさいと注意を受けました。

 

要は風通しがいいようにする訳ですが、退院後の私はほとんど下半身には何も着けない毎日を過ごしていました。就寝時も半裸で脚を開いて寝るようにとの指示があったのでそのようにしていましたが、それでも蒸れているというのは、病院に来るために下着とズボンを着けているせいなのかもしれない、と思いました。

 

診察を終えて病室に入り、入院着に着替えます。ベッドの上で水を沢山飲みました。沢山尿が出るように。今夜中に尿が出てくれないと予定通りに帰国できないのです。尿が出るかどうかの不安もありましたが、無事に帰国できるのかどうかの不安もありました。

 

入院して先ずして貰ったことは、カテーテルの抜去です。カテーテルなしに排尿ができるようにならなくてはならないのです。カテーテルを抜いて、尿バッグともども引き上げて貰います。脚に装着していた尿バッグがなくなると何だか軽やかになりました。

 

膀胱まで入ったカテーテルを抜いた後は、尿道の長さに切ったカテーテルを尿道に留置する必要があります。ダイレーションです。今後半年は治癒の過程で尿道が閉じてしまわないように、これを続けなければなりません。

 

排尿や排便の際には尿道に挿したカテーテルは外します。排尿・排便が終わったらカテーテルを水洗いし、更に生理食塩水ですすぎ、潤滑ゼリーをつけて再度尿道に挿し込みます。抜けてしまわないようにカテーテルには紐を結びつけておいて、それを陰茎にサージカルテープで貼り付けて留めておきます。

 

 

術後半年間はずっとカテーテル留置が必要です。帰国時に飛行機に乗るときも勿論、カテーテルを挿したままです。ではトイレに行く際はどうすればいいか。機内でもケアは必要で、潤滑ゼリーと生理食塩水は機内に持ち込まなければなりません。問題は生理食塩水です。

 

機内に持ち込める液体は容量100ml以下の容器に入ったものだけです。タイで使用する生理食塩水の標準のボトルが500mlサイズなので、別容器に移さなければならないかと考えましたが、500mlよりも一段階小さいボトルが販売されていることが判りました。小さいボトル(写真のもの)は丁度100mlサイズなので、これを持ち込めばOKです。

 

帰国後も外出の際には携行する必要があるので、大きいものだけでなく携帯しやすい小さいボトルの生理食塩水もできるだけ買い込んでおくといいかもしれません。

 

前回カテーテルを抜去したときと同じように、尿意が来たらナースを呼ぶようにと指示がありました。休み休み水を飲みながら数時間。尿意が来たのでナースコールを押します。ナース立ち会いのもと、いよいよ排尿です

 

巧く出るかどうか、精神科の薬の副作用に邪魔されはしないかと冷や冷やしましたが、無事に立位排尿できました。前と同じように尿は尿道口から皮膜のように広がって飛び散り、便器に収まらずに周囲を汚してしまいましたが、これは傷が治癒すれば治るらしいし、先ずは尿が出たことをよろこびました。私だけではなく、Nさんもよろこんでくれました。

 

その後も逐次水を飲み飲み時間を過ごして、尿意の度にナースコール。何度も回数を重ねていくと自信がついたと言うか、排尿に冷や冷やしなくてもよくなりました。前のように便器の前に立ち尽くしたり洗面台に水を流しっ放しにしたりしなくてもいいのです。滞りなく排尿できるってすばらしいと思いました。

 

そしてこの日、入院中のFTM氏と知り合うことができました。私の故郷の近県から来たという、私と年齢の近い人でした。乳房切除と内性器摘出を同時にしたそうで、それでも回復が早かったらしく、元気そうでした。この人と話す時間があったので、今回の入院は退屈な時間を過ごさずに済みました。

 

傷の治りも良好だし、排尿も問題なくできたので、翌日には退院することができました。帰国も予定通りに6月16日(15日の深夜)の飛行機でできます。ほっとしました。

 

知り合ったFTM氏も実は同時退院で、Nさんが運転する社用車で一緒にコンドータウンに帰りました。帰りがけ、病院のエレベータに乗ったときに、私が入院していた10階のナースが同乗していました。Nさんと少し話した後に、そのナースが私に英語で何か言いました。聞き取れなかったのですが、Nさんが直ぐに通訳してくれました。

 

「笑って?」

 

そのとき私は満面の笑みでなくとも機嫌がいい顔をしているつもりでした。無事に退院できたのですから。しかしそのように言葉がかけられるということは、きっと沈んだ表情をしていたのでしょう。一緒にいたFTM氏も「何だかお疲れの様子で」と言っていました。自分のうつのひどさを実感したできごとでした。

 

帰 国

2回めの退院から3日後に帰国です。退院した私は直ぐに荷物をまとめはじめました。来たときよりも荷物が増えています。病院で貰った内服薬・外用薬・綿棒や脱脂綿などのケア用品、多めに買い込んだ生理食塩水の大小のボトル群を限られたスペースに上手に詰めなければなりません。どうにもうつは改善されることなくしんどかったのですが、少しずつ帰国準備を進めました。

 

前回や前々回渡航時と違って、街を歩くことも買いものをすることもなく、しんどい思い出だけになってしまったのが残念ですが、何とか無事に帰れそうなのですから、それだけでも有難いものです。

 

14日にはNさんが洗髪と清拭をしてくれました。荷物もすっかりまとまっていて、あとは出発するだけです。

 

15日の午後、コンドータウンを発ち、T社事務所へ連れて行って貰いました。ここでY氏夫妻と一緒に夕食を摂って、最後の精算をします。半年間ダイレーションをしなければならないので、その分のQCゼリーも購入しました。QCゼリーはT社でも扱っていて、タイ現地価格で購入できるので、帰国してから通販などで入手するより安価で済みます。

 

日が落ちる頃、T社からスワンナプーム国際空港に向けて社用車で出発しました。飛行機に乗るには出発時刻の2時間前にチェックインしていなければなりません。22時発の飛行機に合わせて20時までにチェックインを済ませられるように自動車を走らせます。

 

運転は到着日と同じくY氏の奥さんのEさん、Y氏も同乗して空港まで行き、航空会社のカウンタでチェックインの手続きをして荷物も預けてくれました。この1箇月の間、タイ語・英語が必要な場面はすべてY氏やNさんが代行してくれたので、話すのがつらい私でも何とか乗り切ってこられました。

 

手続きが終わり出国審査を受ける段になって、 設備が新しくなった出国審査場についてY氏が説明してくれました。旅券と搭乗券を持って列に並び、係員がいるブースでそれ等を提示して審査を受け、済んだらゲートを抜けて搭乗口へ進む手順です。

 

しかし、出国審査場の造りが前回来たときと違ってエスカレータを昇ったり降りたりしなければならず、行程が少しだけ複雑でした。落ち着いていれば何と言うことはないのですが、何しろうつがひどい状態ですから、私は巧く出国審査を受けて搭乗口に辿り着けるかが不安でパニックを起こしてしまいました。持病のパニック障碍の発作が出る直前の状態です。

 

パニックと言っても半狂乱で取り乱す訳ではなく、呼吸が少し苦しくなって意識が遠のく程度です。これがひどくなると過呼吸を起こしたり意識を失ったりします。しかし傍目に見ると呆然と立ち尽くしているように見えるため、Y氏は私の肩を叩いて言いました。

 

「大丈夫ですか? 判らなかったらそう言ってくださいね」

 

その声で私は我に却って「はい、大丈夫です」と答えました。ほんとうは、大丈夫かどうかまだ不安でしたが。パニック障碍の症状が出て気が遠くなっていました、という説明はできないままでした。Y氏も驚いたと思います。ほんとうに申し訳ありません。

 

何とか無事に出国審査を終え、免税店街でタイバーツを日本円に両替して搭乗口に向かいました。手持ちの金に幾らか余裕はありましたが、免税店で買いものをする元気はありませんでした。

 

とにかく気力はないし身体はだるいのです。搭乗口は出発時間数十分前にならないとゲートが開かないようでした。ゲート近くの椅子にすわって出発時間を待ちます。

 

ゲートが開いたので搭乗口を覗いてみたら、出発時間20時台の便名が表示されていました。どうやら1便前の飛行機に間に合ってしまったようです。搭乗券を見直してみると、出発時刻は0時20分です。

 

空港に来る時間を間違えたようです。予定よりも2時間ほど早く来ています。出発時刻2時間前の更に2時間前に来てしまったので、4時間ほど待たないと飛行機に乗り込めません。

 

時間をつぶせるものと言えばiPodくらいしか持っていなかったので、搭乗ゲート近くのベンチにすわってずっと音楽を聴いていました。電池一杯に充電できていてよかったと思いました。音楽を聴いて、2回ほど離れた場所にあるトイレに行きました。

 

トイレでは尿道に挿入したカテーテルを抜いて排尿し、カテーテルを生理食塩水で洗って潤滑ゼリーをつけて再挿入し、カテーテルに結んでいる紐を陰茎にサージカルテープで留めるという面倒な手続きを踏まなくてはなりませんが、それもいい時間つぶしになりました。

 

ぼんやり待っていると搭乗ゲートに次第に人が集まってきて、日本語が聞こえるようになりました。日本行きの飛行機が出るゲートですから、日本人が沢山集まってきます。周りが日本語を話す人ばかりになってくると、何だか気持ちが落ち着いてきました。日本がぐっと近づいてきたような気がしました。

 

やがて搭乗時間が来て、機内に入りました。席は通路側で、トイレに行きやすいので安心しました。あと5時間半もすれば日本です。

 

機内ではトイレに2回行きました。機内トイレは適度に狭くて清潔で、空港のトイレを使ったときよりもカテーテルの操作がしやすかったです。

 

復路も往路と同様、うつはひどいものの「はい」「いいえ」くらいは何とか受け答えできたので、ジュースを飲むことも機内食を食べることもできました。特においしいというものではありませんでしたが、日本の味でした。

 

6月16日午前9時(日本時間)、私は最寄り空港に降り立ち、地元へと運んでくれるリムジンバスに乗り込みました。30分も揺られれば、故郷に着きます。既に梅雨入りしていましたが、故郷は晴れでした。

 


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