入院第12日(点滴外れる)−入院第15日(退院) [2013年5月28日(火)−5月31日(金)]

入院第12日(5月28日)

 

入院第12日め、点滴が終わり管が外れました。右腕が自由になります。この頃には上体を起こすのもあまりつらくはなくなっています。ベッドの背の角度を調節して、できるだけ楽な姿勢を見つけて身体を起こしておきます。

 

形成手術をした陰茎をそっとしておかなければならないので、寝返りは打てません。仰臥位以外の姿勢を取りたい場合はナースを呼んで、横臥位など可能な体位をつくって貰います。両脚の間には陰茎があるので、横臥して両方の脚を重ねるような姿勢は取れません。両脚の間に枕を挟むなどして陰茎を圧迫しないようにしなければなりません。

 

同じ日、左前腕のギプスが外れます。陰茎を形成するための皮弁を切り取り、その跡地に臀部の皮膚を移植した腕です。過日と同じように腕を固定してるギプスを外し、包帯やガーゼを取って腕を水洗いし、水気を拭ってもと通りにガーゼと包帯を着けます。そして今度はギプスでなく、少しきつめのサポーターを腕に被せます。

 

手首を固定していたギプスが外れたので多少は自由になるように思いますが、大きな傷を負っているのと10日ほどもまったく動かさない日が続いていたため、なかなか思うようには動かすことができません。手を握ることもできず、そのためペットボトルのキャップを開けることもできません。<

 

できないからと言ってやらないでいてはいけません。少しずつ手を握る練習や手首を曲げたり腕を外捻・内捻させる練習をするようにします。食事のときなど、可能な限り両手を使います。

入院第13日(5月29日)

翌日入院第13日め、尿道カテーテルが外れました。ベッドを降りられるようになります。同時に、降りなければいけなくなります。管が全部外れたのだから、トイレには自力で行かなくてはなりません。

 

カテーテルを抜くのは痛いけれど、一瞬で終わるようにしてくれます。トイレに行くときはナースを呼ぶように言われます。最初の尿意まで随分かかりましたが、やがてトイレに行きたくなり、ナースコールを押しました。ナースが二人連れで来てくれて、ベッドの脇に踏み台を置いてくれました。

 

「ゆっくり、ゆっくりね」

 

ナースが私のそばで英語で言います。

 

10日以上もベッドの上から動かずにいた身体は、当人が思っているよりも衰弱しています。足も弱っていますし、平衡感覚も鈍っています。いつも通りと思って身体を動かそうとすると危険です。

 

また、そんな状態の人間がベッドを降りて立とうとすると意識が遠のいてしまうこともあり、私も短時間ながら気を失ったらしく、ナースが私の鼻先で気付け薬のアンモニアを含ませた綿棒を振っていました。

 

両脇からナースに身体を支えて貰いながら何とかトイレまで行き、術後はじめて自力排尿をしました。立位排尿です。座位でしか排尿したことがないし、10日も自力排尿しない日をすごしたために、どんな風に意識して筋肉を動かせば尿が出るのか判りづらく、少し目を閉じて思い返していると、ナースが言いました。

 

「目を閉じては駄目!」

 

目を閉じると意識をなくしやすいのかもしれません。指示通り目を開けて、何とか記憶を手繰って身体を緩め、排尿できるようにしました。形成した陰茎の先から、しぶくように尿が出ました。

 

「おお、出たね」

 

私がベッドからトイレまで移動している間(結構時間がかかりました)に病室に着いたらしいNさんが私の様子を見て、うれしそうに言ってくれました。はじめて補助具なしに立位排尿をしました。

 

尿は尿道口から広がるように出ましたが、Nさんによるとこれは手術して間もなくて傷が落ち着いていないせいで、傷が治癒していけば尿線も落ち着くらしいです。出るものが出るべきところから出たので、一ト先ずは安心です。

 

こうしてベッドから離れることができた私は、日中を椅子にすわって過ごしました。長い間ベッドに同じ姿勢で居続けたためか、尻がとても痛かったのです。椅子にすわっていると、それは幾分ましでした。椅子にすわって過ごし、時々室内歩行をする私を見てNさんは「とても元気ね!」とよろこんでくれました。

 

この日、Nさんはおみやげを私にくれました。鶏手羽先の揚げものです。日本の手羽先のように大きなものではなく、幅5cmほどの大きさの唐揚げのようなものを、15cm×10cmくらいの透明の袋に一杯に詰めたものです。

 

バンコクの街に立ち並ぶ屋台で買ってきてくれたのでしょう。それは日本で食べる味に近くて、今回のバンコク滞在中に食べたものの中で一番おいしかったです。

 

後で判ったのですが、これはヤンヒー病院の敷地内にある屋台で買ったものでした。ヤンヒー病院の敷地内には屋台街があって、飲食店や服飾店や、諸々の屋台が並んでいます。

 

初立位排尿の後も、トイレの度にナースを呼ぶようにと指示がありました。排尿の様子を観察するためです。形成した陰茎の尿道口ではない部分、縫合部分から尿が洩れたりしていないかを見るのです。尿意のみでなく便意のときも尿が出る可能性があるのでナースを呼びます。

 

日中は調子よく排尿できていました。しかし、Nさんが帰って、夕食を終えた後くらいから、調子がおかしくなってきます。

 

尿意はあるのですが、立位では尿が出せなくなってきたのです。ナースを呼んでトイレの便器の前に立ち、暫くがんばってみるのですが、それでも出ません。

 

「すわってもいい?」

 

ナースの許可を貰って便座にすわります。座位でも暫くがんばりますが、やはり出ません。尿を出そうと力むと、便が出てしまいます。ナースは便器そばの洗面台で水を出しっ放しにして私の尿意を誘発させようとしますが(流れる水の音は排尿を促すらしい)、巧く行きません。暫くがんばって、諦めます。夜通し、それを繰り返しました。

 

入院第14日(5月30日)

夜が深くなるにつれ尿意の間隔が狭くなってきて深夜にはほぼ1時間に1回、ナースを呼んでトイレに入り、巧く排尿できずにベッドに戻ることを繰り返しました。翌朝の私はだいぶ憔悴していました。

 

その朝、ドクターナース(簡単な診察ができる資格を持った上級ナース)が私の腹部を打診して、険しい表情を見せました。一緒に来室したナースたちに首を振って見せています。何かよからぬことが起こっているようです。そのときは私には何も告げられず、ナースたちは退室しました。

 

数時間後、執刀医が回診に来たとき、先程のドクターナースが一緒にいて執刀医に何か告げました。執刀医は先程のドクターナースと同じように私の腹部を打診して、言いました。

 

「いま直ぐおしっこしてみせて」

 

私の尿意がいまあるかどうかの確認もなく言われ、しかし私は仕方がなくトイレに立ちました。でも昨夜と同様、便器の前に立ってはみるものの尿は出ません。「いま(尿が)出ないと退院させられない」と執刀医が言います。

 

予定では明後日が退院日です。ナースが洗面台の蛇口をひねって水を出してくれますが、やはり駄目です。尿意もないのに「いま出せ」と言われても出るものでもないでしょう。座位を取っても同じです。

 

執刀医が言いました。

 

「もう一度手術をする」

 

えええ!? 一度形成したものをまた開くの? またカテーテル生活? 不安と言うより絶望に近いものが私の中に生まれましたが、執刀医が言い残して部屋を出て行くと直ちに手術の用意がはじまりました。

 

執刀医とともに来室していたナースはそれぞれに散り、私はベッドの上で安静。直ぐに数枚の書類が現れて、サインを求められました。手術や麻酔の承諾書だったのだと思います。それから、驚くほど早くにストレッチャーがやってきて、私は病室から運び出されました。

 

通路を走りエレベータに乗り、リカバリルームで名前と生年月日を問われ点滴の管と心電図のコードが身体に繋がり、手術室で手術台に寝て麻酔のマスクを口許にあてがわれます。数日前に手術を受けたときと同じです。

 

違うのは、意識があるうちに手術台に開脚台が取り付けられて足をそこに固定されて、2〜3回深呼吸をしても麻酔が効かない私を見て執刀医が手で私の喉を押さえたことです。

 

喉を強く押さえられて「げ」と思ったところで私の意識は途絶えました。

 

再手術が終わったのは昼頃でした。リカバリルームで目覚め、ストレッチャーで病室まで運ばれます。部屋に戻るとNさんが来ていて「どうしたのー?」と私に訊ねます。「昨日あんなに元気だったのに」と。しかし、このときの私は何がどうなって再手術を受けたのか判っていませんでした。

 

Nさんが執刀医の説明を聞いてきてくれたところによると、再手術は内視鏡手術だったとのこと。内視鏡で尿道口から膀胱までを診てみたが、異常はなく傷の治癒具合いもいいらしい。

 

では、何故尿が出なかったのか。泌尿器科の医師が来室して幾つか質問されました。尿の間隔はいつもはどれくらいか、どれくらいの量の尿が一回に出るか、など。4〜5時間に1回ペースの排尿でだいたい200〜300mlくらいだと答えると「少ない」と医師。尿が出やすくなる薬を出すのでそれを服み、水を沢山飲むようにとの指示を貰いました。

 

またカテーテルが尿道に繋がって、ベッドにじっとしている生活に戻りました。午後から左前腕のステッチを外しにナースが来てくれましたが、同じ頃に精神科の通訳さんも来てくれて、ベッドの左側にナース右側に通訳さん、左では腕の傷をくっつけるために打たれた鉄製のホチキスの針のようなものを外す作業をして貰いながら右を向いて通訳さんと話すということをしました。

 

思うに、私はもともと排尿の回数が少なくトイレが長持ちする方で、渡タイ時の飛行機の中でも1回もトイレに行きませんでした。日本−タイ間は5〜6時間かかります。また、精神科の薬の副作用で尿閉があったこともあり、もしかしたらヤンヒー病院精神科で出して貰っている薬の中に副作用で尿が出なくなるものがあるのではないか、と通訳さんに言ってみました。通訳さんは「判る判る」と私の言うことを聞いてくれて、精神科の医師に伝えると約束してくれました。

 

その間に左前腕の抜糸は終わり、またガーゼと包帯とサポーターで腕はくるまれました。傷はまだ完全には塞がっていないようです。傷は大きいし鉄製の針が怖いしで私は左腕を見るのを避けたかったのですが、丁度通訳さんが来てくれていて助かりました。

 

入院第15日(5月31日)

さて退院予定日です。退院延期になって、次の予定日はいつになるのか、Nさんに確認して貰おうと思っていました。昼前にNさんが来て、T社利用者の中に今日術後検診を受けた後に帰国という段取りの人がいるという話を聞き、うらやましく思いました。

 

しかし、Nさんが言うことには「今日、退院できるよ」。

 

どうやら退院延期だと思っていたのは私の早合点で、病院側は予定通りに退院させようとしているらしいです。

 

「先生に診て貰って、OKだったら退院できる」とNさん。どうやら14時までに退院の予定らしい。

 

昼食を摂り、回診を待ちます。ヤンヒー病院では入院中の受診はすべて病室で行われます。各科フロアに出向いて診て貰うのではなく、病室に医師が来てくれます。最後の診察をするのは泌尿器科の医師だとのことで、ずっと待ちます。

 

しかし医師が来ません。14時を過ぎても医師は来ません。今日帰国予定というFTM氏と付き添いの彼女さんは私と一緒にT社が借りている宿泊施設に移動するというので、既に受診を済ませて私の病室へ来てくれています。

 

結局、医師が来たのは15時を過ぎてからのことで、時間の約束なんて当てにならないなと思っていたらNさんが「タイはだいたいこんな感じ」と言いました。要は南国時間だということです。あまりきっちりしていないお国柄なのだそうです。

 

泌尿器科の医師は幾つか問診をして、私にこう告げました。

 

「尿の出をよくする薬を出しておくので、きちんと服んでください。水も沢山飲んでください。一旦退院しますが、6月11日から12日にかけて再入院して、尿が巧く出るか診せて貰います」

 

条件付き退院ですが、退院できるだけよかったと思いました。しかし、カテーテルと尿バッグが繋がっているのはどうするのでしょう。

 

また暫く待ちました。あとはカテーテルの扱いをどうするかだけなので、今日帰国組を待たせているのは私のせいだな、とちょっと後ろめたくなったり。待っている間にNさんは私の入院費用を精算しに行ってくれました。

 

再手術の費用は加算されないそうです。オプションでホルモン注射を1回したり、精神科の受診と投薬を受けたりしましたので、その分はパッケージとは別料金になります。

 

カテーテルの処置をするナースが来るのが早いかNさんが戻ってくるのが早いかと考えていたら、Nさんが戻ってきました。費用の精算のほか、退院に必要な手続きを全部済ませてくれたそうです。あとはナース待ち。帰国組に「すみませんね」と言いながら待ちます。

 

ようやく来てくれたナースは20cm×15cmくらいの小さな尿バッグを持っていました。私の尿道に挿さっているカテーテルをその小さな尿バッグに繋ぎ替え、バッグに付いたベルトでバッグを私の左脚に装着します。なるほど、これならカテーテルを挿入したまま移動できます。

 

尿バッグの取り扱い方を教えて貰い、入院着から私服に着替えます。半月振りにパンツをはきます。靴も半月振りです。

 

そうして、やっと退院です。時間は16時を過ぎていました。

 


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