入院第5日−1(退院) [2005年9月8日(木)]

ドアをノックする音で目覚める。0630時。食前の薬を看護師が持ってきてくれる。青と白のカプセルは、看護師曰く「medicine for イタイ」。鎮痛剤か?

 

昨日からこの薬を持ってきてくれる看護師がいちいちこう言ってくれるようになったのだが、通訳女史に投薬の内容を訊ねたからだろうか。

 

眠剤の御陰か、よく寝た気がする。割りと気分がいい。喉のいがらっぽさもなくなっている。

 

食パン小さいよ

 

食事がやっと洋食になる。トーストは日本で言うサンドイッチ用の食パンを焼いたもの。大きさも厚さもそんな感じ。耳は付いている。後で知ることだが、タイの食パンはこのサイズが普通らしい。

 

大きい器の中身はどうやらポタージュのようだが、匂いも味も量もアメリカン。濃くて沢山。シチューと言った方が当を得ているのではないか。できるだけ喰って身体を回復させたいが、半分で断念。トーストと牛乳は平らげる。

 

牛乳はパッケージに「MILK」と書いてあるが、小さく「SOYMILK」とも書いてある。飲んでみると豆乳だった。

 

食後の薬を持ってきた看護師が話し掛けてきたので、少ない語彙を総動員して拙いなりに答えようとしたが、ぼくが話している途中で聞く気がなくなったのか、看護師は行ってしまった。「一生懸命喋っているんだから聞けよ!」と文句を言いたいが、咄嗟に英語でそう言えるくらいならきっと言わなくてもいいに違いない。

 

看護師も忙しいのだろうし、時間を掛けても要領を得ない片言しか話せない奴の言うことなど聞いていられないのかもしれないが、そうは思っても、自分の言葉を受け容れて貰えないことは存在そのものを無視されてしまったようで、とてもつらい。

 

この国に来るべきではなかったのかもしれないと思った。見当違いなのだと判っていても、タイという国やそこに住む人たちを嫌ってしまいそうで、そんな自分も厭だと思った。

 

時計を見て、退院までの残り時間を数えた。

 

午前の清拭を断って回診を待つ。軽快な足取りで医師は現れた。術後はじめて術創を覆っているガーゼを外す。粘着シートが勢いよく剥がされる。痛くはなかったが、少しだけかぶれていた。

 

患部を見て触診した後、医師は言った。

 

「傷は大丈夫」
「ガーゼを交換したら、退院してホテルに戻ってよい」
「ガーゼを交換したら、シャワーを浴びてもよい」

 

長身で理知的な顔立ちの医師は、ゆっくりと明瞭な発音で、しかも短く区切って単文で話してくれるので、英語でもぼくにもよく判る。ほかの人もこの医師のように話してくれればいいのに、と思う。

 

言うだけ言うと医師はまた軽快な足取りで出て行った。残った看護師がふたり掛かりで術創をアルコールで拭った後に赤チン(に見える液体の薬剤)を塗って、もう一度ガーゼを当てて粘着シートで覆う処置をする。

 

術後4日め

 

剃毛した部分に発毛がある。その上にぺったりと粘着シートが貼られて、次に剥がすときにはきっと痛い思いをしなければならないのだろうなと、少し憂鬱になる。

 

シートはナイロンのような材質で、濡れても水を弾く。石鹸をつけたりごしごし擦ったりしなければ大丈夫だと、あとでガイドのM氏が教えてくれた。

 

「あなたは今日、退院だね?」

 

立ち去り際に看護師がそう言ったので答えようとすると、この看護師もぼくを遮るようにこう言って、さっさと行ってしまった。

 

「通訳の女の子が来るから彼女と話しなさい」

 

最早やぼくの言葉など望んではいないのだという風な態度だ。ここの看護師はみんな、ぼくと話そうという気をなくしてしまったのか、この言葉の拙さは愛想を尽かされても仕方がないか、と、またも沈む。

 

「二度と来たくない」とは思わないが「二度と来てはいけない」と思った。「退院して気持ちが回復し自信を取り戻したとしてもここに再び来るべきではない。思い出が愉しいものだけに変わっても勘違いしてはいけない」と記録用の手帳には書きとめてある。

 

最後の病院食

 

昼食はココアとサンドイッチとフトモモ。フトモモとは大腿部のことではなく桃の種類。

 

ココアがやたらと旨く感じた。サンドイッチは「地味なコンビニエンスストアで200円」という感じ。これまでの食事が旨くなかったのは「タイ食だから」ではなく「病院食だから」ということをほぼ確信する。サンドイッチをココアで流し込んだ。ココアの甘味が身体に染みるようだった。

 

病院での食事はこれが最後。白粥とココアの記憶だけが鮮明に残る。

 

昼食を終えたのは丁度正午だった。M氏が迎えに来てくれるのはもっと後のことだろうとは判ってはいるが、気持ちが逸る。早々と入院着から自前の洋服に着替えて、ベッドではなく応接セットの椅子にすわって待った。

 

先に通訳女史が顔を出してくれる。貴重品は返して貰ったかと訊かれて「まだ」と答えると手続きをしてくれた。旅券、現金、航空券、自宅の鍵、MP3プレイヤが手許に戻り、「確かに返して貰いました」という書類にサインをする

 

それから程なくM氏が現れたが「もう少し待って」と言われる。ぼくと同時退院する人がいるらしい。

 

30分ばかり応接セットの椅子で待ったがその間に筋緊張性頭痛と目眩がはじまる。「危険だ」と直感してベッドに横になった。眼を閉じていてもぐるぐるまわっているような感覚がある。頭痛と目眩と、急激な気分降下。

 

もう少し。もう少しなのに。

 

呼吸が苦しくなりはじめる。このままでは過呼吸を起こしてしまう。意識してゆっくりと深呼吸を繰り返した。過呼吸と理由のない涙はぼくの不安発作(鬱病の発作)の主症状だ。涙が出はじめたら発作は止めようがない。必死で堪えた。

 

1時間くらい経った頃に看護師がやってきて、ぼくの荷物を運び出した。ベッドから降りて着いていった。泣かずに済んだ。ぼくの荷物は幾らか重くて女性に持って貰うのは少し気が引けたけれど、自分で担ぐのも傷に響くのが怖くて「自分で持ちます」とは言えなかった。

 

同じ階の別の病室へ連れて行かれる。そこには昨日会った乳房切除のFTMくんと、その友人だというもうひとりのFTMくんがいた。友人くんの方は今日退院なのだろうが、乳房切除のFTMくんは一昨日切ったばかりだからまだ出て行かないだろう。そう思ったが、どうやら外出する模様。

 

看護師長らしき人が現れて、アンケート用紙をくれた。1週間後に持ってくればいい、と言ったらしいが、ぼくは次回通院日が1週間後なのだと思った。その思い違いを訂正してくれたのは友人くん。彼は英語での会話を流暢にこなす。

 

間違いなく日本人なのだが彼の日本語は貧しかった。沢山喋るのだが、語数の割りに情報量が少ない。ホテルへの車中でも彼はずっと喋りっ放しで相棒に「お前、休みなく喋るな」と言われていた。見ていて微笑ましかった。

 

服用薬を貰って、A社の自動車でホテルまで送って貰う。もらった薬は全部で3種類。

 

病院の薬

 

下の写真の薬が抗生物質。術創が化膿しないように服む。名前はDIXALIN。20個入り。

 

抗生物質

 

次は鎮痛消炎剤。名前はSOPROXEN。10錠入り。

 

これが「medicine for イタイ」

 

上記2種は食後と就寝前に各1錠ずつ。

 

もう1種は頓服薬。痛みがひどいときに。名前はSARA。20錠入り。

 

ちょっとかわいい名前の鎮痛剤

 

この薬は解熱鎮痛剤だから熱が出たときにも効く。1回2錠。ぼくは帰国するまで服む必要がなかった。

 


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