自動車で小一時間ほど走ってチンハウスというホテルに向かう。このホテルもA社が手配してくれていて、同じ目的で渡航した同志たちが何人も利用しているのだという。部屋を訪ね合って知り合いになることもできるし、誰とも会いたくないなら事前にそのようにA社に申し出ておけば会わずに済むようにもして貰える。
一緒に自動車に乗ったFTMくんがコンビニエンスストアに寄りたいと言ったので、ホテル直近の店に立ち寄る。自動車の扉が開いた途端に街に充満している独特の香辛料の匂いが入り込んできて、ぼくは吐気を催した。
これは悪臭がした訳ではなく、ぼくの身体が弱っていて異文化を受け容れられるだけの元気がなかっただけ。次の日に来たときには平気だった。
水と、日本で食べられるものに近い味がしそうなものを択んで買った。カップラーメンと菓子パン。とにかく喰わなければ回復しない。それだけを考えていた。つまり、自分が弱っていることを実感していたということだろう。
退院の手続きと同様に、チェックインの手続きもガイドのM氏がしてくれる。カードキーを貰って与えられた部屋に行く。811号室。ひとりで利用するにはとても広い部屋だ。
ホテルの従業員が荷物を運んでくれて、照明のスイッチの位置や空調機の操作の仕方を教えてくれる。荷物を運んで貰ったときにはチップを渡すのがスマート、とは話に聞いていて「渡さないと」とは思ったのだが、「チップ」の文化がない国で育ったぼくには渡すタイミングが判らない。結局渡さなかった。胸の奥で「ごめんね」と呟いた。
一ト通り部屋の中を見てみる。窓からの眺望はこんな感じ。
ホテルの場所はソイ・サラデーン1通り沿い。そこからルンピニー公園があるラーマ4世通り側の窓を覗くと、こんな風景。木が茂っているのは、ホテルの隣りだか2軒向こうだかに大きな邸宅があって、そこに沢山養われている植木たち。熱帯の植物だ。
部屋にはキッチンがあり、調理器具や食器も揃っていて、材料とやる気さえあれば自分で調理もできる。電子レンジと電気ポットもある。ホテルと言うよりはマンション。リビングダイニングキッチンとベッドルーム、ユニットバスで構成されている。1LDK。
コンセントは日本のものとは違う。日本の電化製品を持ってきてもそのままでは使えない。
バスルームも広い。西洋型の浅くて広いバスタブがある。トイレもぼく等に馴染みがある洋式。しかしトイレットペーパーホルダーが背後の壁に付いている。術後直ぐの身体には、少し厳しい。
「身体を捻って腕を背後に伸ばして必要量のトイレットペーパーをちぎる」ということは元気な人にはたいしたことではないだろうが、術後間もない身体には痛みを伴う。用を足すべく腰を下ろす前に予想必要量をちぎって手に持つなり洗面台に置いておくなりの工夫が必要。それにしても、こんなレイアウトは日本では先ずないよな。
ホテルに着いたのは1500時を幾らか過ぎたくらいの時間。まだ屋外は煌々と明るい。だがぼくは疲れ切っていた。
両肩が重く、全身が怠い。空調が効いた病院から外に出るとやはり暑く、直ぐに汗が出た。自動車の座席は硬くて段差に乗り上げるたびにその振動が身体の奥に響いた。走っていた1時間の間、下腹に痛みと恐怖心がずっと続く。緊張した。
荷物の整理は後でいい。リビングの床にふたつの鞄を放り出したままで、ぼくは先ず風呂に入った。昨日も今日も清拭を断ったし今日は随分汗をかいている。
バスルームにはボディソープとシャンプーが備えつけてある。それを使って身体と髪を洗い、バスタブに湯をためてゆっくり浸かった。たっぷりの湯に浸かるとやはりほっとする。シャワーだけではどうも落ち着かない。温かい湯が心地よかった。
湯の中で下腹にさわってみた。術創の付近だけではなく下腹全体がぱっつんぱっつんに腫れていて、さわっても感覚がない。ガーゼ越しに術創がほかの部分よりも微かに出っぱっているのが判った。
着ていたシャツと下着を、風呂上がりに洗面台で手洗いした。毎日洗えば帰国直後に沢山洗濯しなくても済む。
風呂から上がって、リビングのソファにすわった。リビングにはCDプレイヤが置いてある。これを自由に使ってよいとA社の案内に書いてあったので、ぼくはCDを3枚持ってきていた。すべてプレイヤに放り込んで、自宅では近所迷惑を気にしてできない少し大きな音量で流す。持って行ったCDはB'zの「GREEN」、「BIG MACHINE」、「THE CIRCLE」。
ソファはやわらかくてすわり心地がとてもよく、王さまになったような気分だった。風呂上がりのさっぱりした状態で空調が効いた部屋のやわらかなソファに身を沈め、好きな音楽を好きな音量で聴く。誰にも邪魔されない。
緊張が次第に解けてゆくのが判った。気持ちがゆったりとしてくる。数時間前には不安発作を起こしそうになっていたことがうそのようだ。1時間ほどそうしていると食事をしようという気になる。喰える、と思った。
立ち寄ったコンビニエンスストアで買ったカップラーメンを少しやわらかめにつくって食べることにする。喰えそうな気はしているが、まだがつがつ食べたい訳ではない。
日本の有名食品メーカーの製品で、「JAPAN」と書いてあって、「天ぷらしょうゆ」味。おそらく日本で喰えるものに近い味だろうから弱った身体でも受け付けるだろう。ポットで沸かした湯を入れて待つ。蓋を開けるとフォークが入っているが、ぼくは日本から持参した割り箸で喰うことにした。箸以外の食器を使っても喰った気がしないからだ。
味は日本のカップうどんに近い。つゆはうどんつゆの味。麺はラーメンの麺。但し、少し辛い。カップうどんに最初から唐辛子が入っています、という感じ。飛び上がるほど辛くはない。
これを少しずつ、少しずつ食べた。
やわらかくなった麺を慎重に咀嚼してから嚥下する。そうしないと胃が暴動を起こすのではないかと不安だった。しかし、思いのほか喉の通りがよく、温かいつゆを飲むと緊張は更に緩んだ。「旨い」と思えた。
時間を掛けてカップラーメン1個を食べ終えて、またソファに沈んだまま音楽を聴いた。久々に聴いたヴォーカルの声が身体の奥に入り込んできて、身体の―――ぼくという存在の芯の部分を鷲掴みにして揺さぶる。ひどく心地よい。身体の深いところで何かが暴れ出そうとする予感のような、静かな昂揚があった。
生きている。生きてゆける。生きていてよかった。
心の底からそう思った。もう大丈夫だ。回復する。元気になる。有難う。そんな言葉たちが勝手に自分の中から溢れ出てくる。30年以上生きてきてはじめて味わう、とても穏やかな気分だ。
たった4日前に身体を切り開いて内臓を抜き出して、それでもおれは自力で移動できるようになっているし喰うこともできるようになったし、じっとしているなら痛みもないし、これからきっともっと元気になる。いい部屋に入れて貰ってこんなにゆったりした穏やかな気持ちでいられる。倖せだ。倖せだ。まったく以て倖せだ。こんな倖せはほかにない。
誰かに伝えたかった。誰かと話したかった。このよろこびを、早く、誰かに。じっとしていられなくなって、ぼくは1階のロビーに降りた。
ホテルのロビーにはインターネットに接続できるパソコンが2台、設置されている。ホテルのものは使用料が高額だから街へ出てインターネットカフェを利用するのがよいということは知ってはいたが、そんなことは構わなかった。ぼくはフロントの女性に話し掛けた。
「Excuse me, can I use that computer ?」
「Ok, you can. roomnumber ?」
「811」
「811……ok, please」
日本語を使うように、言葉が通じた。何だ、おれは話せるんじゃないか。またうれしくなる。
ホテルのパソコン使用料は、最初の15分間が45バーツ、それを越えると15分ごとに3バーツ。街のインターネットカフェの相場は1分間につき1〜5バーツ。やはりホテルは割高だ。
しかもホテルのパソコンは日本語表示ソフトが入っていなくて、日本でいつも閲覧しているサイトは何処も上の写真のように文字化けして、何が書かれているのか判らない。
明日は街へ出掛けてインターネットカフェに入ろう、と思う。それでも40分ほどネット上を徘徊した。
小腹が空いてきた気がしたので部屋に戻って、今日買った菓子パンを食べた。
片仮名で「カスタードチョコレート」とパッケージに書かれている。普通のチョコレートパン。チョコレートクリームが少しだけ固めで甘味が強いように感じるが、日本で食べられるものと大差ない。そういうものを択んで買ってきたので、これはこれで有難い。甘いものはぼくをもっとリラックスさせた。
やわらかいソファにすわってNHKニュースを見た。まだ2000時だが「ニュース10」が放送されている。日本との時差は2時間。この放送がある御陰でそれはいつでも意識できる。
穏やかな時間に浸りながらうすぼんやりとTVを眺めて、眠気を感じた頃にベッドルームに入った。2300時過ぎだった。
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