入院第2日(術前処置)−入院第3日(手術) [2013年5月18日(土)−5月19日(日)]

術前処置(入院第2日)

着替えもせずに就寝し、ゆっくりと目覚めました。午前7時前後だったかと思います。8時少し前に配膳される朝食までさほど間がありませんでしたから。配膳された朝食をベッドの上で食べました。

 

薄い食パンと、目玉焼きと、ソーセージ。そして飲みもの2種。ヤンヒー病院の食事にはいつも飲みものが2種類付いてきます。そして、普通食はここまで。翌日が手術日の予定になっていて、手術のために絶食しなければならないので、この日の昼食と夕食は流動食になります。翌日は朝から絶食です。

 

食事を終えた後に精神科のカウンセリングがありました。精神科の担当医は女医さんでした。精神科のフロアへ行くのではなく、担当医が病室まで来てくれてのカウンセリングです。

 

これは私が精神疾患を持っているからだけではなく、ヤンヒー病院で性別適合手術を受けるすべての人が受けるものです。それにプラス、私の場合は持病についてのお話がありました。全部で小一時間ほどだったでしょうか。

 

その後、入院着に着替えて待機。入院着は前回までと同様、甚兵衛のような上衣と筒スカートの組み合わせで、下着は上下とも着けません。その恰好に着替えてから、入院フロアとは違うフロアに移動しました。

 

待ち時間が随分あったことを憶えています。長く待ってようやく呼んで貰った部屋には大きな器具が据え付けられていました。何となくゲームセンターに置いてあるピンボール台に似た感じの……。

 

台に寝そべるような恰好ですわり、そのすわった下には水が流れていく仕掛けになっています。見上げればピンボールの得点台のようなパネルがあって、そこには目盛りがありました。

 

担当ナースから下衣を脱いでその器具にすわるよう指示があり、そのようにしました。そうすると、器具から伸びているノズルを肛門に差し込まれ、ゆっくりと温かい湯が直腸に入ってきます。

 

湯が入ると下腹がふくれ、便意が催してきます。「少し我慢して、出したくなったら出していいよ」とナースの指示。そして器具にすわった私の右手近くにあるボタンを握らされて、そのボタンを押すと改めて直腸内に湯が満たされる仕組みになっています。

 

湯を入れて、直腸が満たされたら排出、それを数リットルの間繰り返すとのこと。その使用する湯の量はパネルの目盛りに表示されていて、湯が減って目盛りが或るところに来たらナースコールを押すように、と指示を残して担当ナースは部屋からいなくなりました。

 

部屋に一人残されてから、私は「ああ、腸内洗浄か」とぼんやり思いました。腸内洗浄は1時間くらいかかり、終わったのは午を過ぎてからでした。

 

終えて病室に戻ると、昼食が既に運ばれていました。どろどろのスープときれいな色のゼリーと、ジュースが2種類。スープは味があまりなく、どろどろの舌触りが気持ち悪くて、でも平らげました。

 

昼食の後はまた待機です。剃毛の予定が残っています。ナースが病室に来てくれるのを待ちます。しかし、夕食が来てもナースは来なくて、私はベッドの上でうとうとしていました。前日によく眠れたかといえばそうではありません。私のうつ病は不眠を伴うので、眠剤なしではまともに眠れないのです。そのせいもあって、何もしない時間にはうとうとしたのでしょう。

 

剃毛のためにナースが病室を訪れたのは、 21時頃でした。ベッドに仰臥した私のへそから下の体毛をすべて、T字剃刀でムースも使わずにナースが二人がかりで剃っていきます。何も付けずに剃られるのは、少し痛かったです。

 

私はこのとき、3〜4年ほどホルモン注射を休んでいました。通っていた注射のための病院の医師とあまり気が合わず、喧嘩してしまってその病院に通わなくなっていたのです。そのためか陰毛を含む体毛はあまり濃くはなかったのですが、それでも全部で30分ほどかかったでしょうか。

 

全部剃り終えると「自分でシャワーで洗い流すように」と指示があり、そのようにしました。ヤンヒー病院の病室は全室個室で、シャワーが付いています。私はこのとき陰部のみを洗い流したのですが、後にして思えば全身洗っておいてもよかったかもしれません。手術を終えたら暫く入浴はできないのですから。

手術の日(入院第3日)

朝早くにナースが検温にやってきて、目が覚めました。食事も摂れず、何もすることがありません。ぼんやりとベッドに横になって時間を待ちます。

 

午前7時半頃、病室にストレッチャーがやってきて、それに移ります。いよいよ手術です。

 

ストレッチャーに横になったまま通路を通りエレベータに乗り、手術室へ向かいます。手術室の手前のリカバリルームで手術スタッフの確認があります。氏名と生年月日、英語かタイ語を話せるかどうかを訊かれます。英語かもしくはタイ語で答えなければなりません。

 

本人確認が終われば心電図と点滴がはじまります。リカバリルームはほかの区域よりも冷房が効いていて少し肌寒いです。

 

暫く待った後、ストレッチャーごと手術室に入ります。手術室内はリカバリルームよりもひんやりとしています。ストレッチャーから手術台に移り、酸素マスクが口にあてがわれます。マスクからは麻酔が出ています。それを幾らか吸えば眠くなるのですが、私は直ぐには眠りませんでした。手術スタッフが大きな声で言います。

 

「シンコキュウ!」<

 

私は急いで大きく息を吸い込みました。そして吐く。それを2回か3回繰り返すと、意識はなくなりました。

 

次に意識が戻ったのは午後1時過ぎでした。リカバリルームにいました。点滴と心電図が身体につながっています。手術が終わったんだと思いました。手術スタッフに起こされたので、意識はぼんやりしています。左腕がずっしり重いです。それ以外は手術前とあまり変わらず、手術を受けたという実感はあまりありませんでした。

 

リカバリルームでは暫く放っておかれました。意識がはっきり戻るまでは病室に帰れないのでしょう。ただ、寝ているだけなので暇ではあります。30〜40分くらいの後、私が寝ているストレッチャーは移動をはじめました。

 

ヤンヒー病院の入院病棟10階は外国人(タイ人から見て)患者が入院するフロアです。私の病室はそこのナースステーションに最も近い部屋です。そこに戻り、手術スタッフと10階ナースが寄ってたかって私の身体に手を掛け、ストレッチャーからベッドに移動させました。身動きがとれない私はされるがままです。

 

病室ではT社のNさんが待っていてくれました。栄養剤や麻酔剤(ペインフリー)の点滴を整えたナースが病室から出て行くと、Nさんは水を飲ませてくれました。水は病室備え付けのミネラルウォーターです。経験がある人はご存知と思いますが、手術の後って大抵、喉(というか口の中)が渇いているのです。だからNさんが水を飲ませてくれて、とても有難かったです。

 

「ハキ、する?」

 

Nさんは私に訊ねます。一瞬何のことかと思いましたが、手にベースン(医療用のカーブを帯びたトレイ)を持っていたので「吐き、する」―――「吐きそうか?」と言っているのだと判りました。吐き気はなかったので「しない」と答えました。

 

しかし、直ぐ後に水が上がってくるような感覚が胸許に起こったので「吐きそうです」と訴えました。Nさんが横たわる私の口許にベースンをあてがってくれて、その直後に私は吐き戻しました。

 

麻酔剤などの影響で術後に嘔吐する人は少なくはないと聞いていましたが、私はこれまで術後でも嘔吐した経験はありませんでした。自分は麻酔に強い方なのだと思っていたので、実際に嘔吐して少し吃驚しました。

 

吐いた後にNさんは粥を食べさせてくれました。昼食に粥をオーダーしてくれていたのでしょう。病院食は予め定められたメニューもありますが、事前に申し出ることで割りと自由に食事内容を変えることができるようです。

 

粥は喉の通りがよくて助かりました。ほかに、鶏肉の照り焼きがあったようで、細かく切ったものを食べさせて貰いました。私は鶏肉が好物なので、食べやすいと感じました。

 

後日、魚の照り焼きが食事に出たときは味が濃すぎたのとやたら固かったのとであまり食べられなくて、ずっと食事の世話をしてくれていたNさんは気を利かせて私が自力で食事ができるようになるまで、粥と鶏照り焼きが食事に出るように手配してくれました。

 

Nさんは毎日、午前10時半頃から午後5時くらいまでの間、私の病室へ来てくれて、身のまわりの世話をしてくれました。術後2〜3日は起き上がって食事をすることもできなかったために食事を一ト口ずつ私の口まで運んでくれましたし、起きて食事できるようになってからも食べたいものや食べやすいものを気にかけてくれて注文してくれました。

 

術後暫くはベッドから降りることもできなかったので時間つぶしに見ていたDVDの入れ替えなどもしてくれましたし、具合いがよくないことを訴えるとナースに伝えたり呼んできてくれたり、また退院後も何から何までお世話になりました。感謝してもしてもしきれないほどです。

 

術後の嘔吐は1回きりで、ほかは特別具合いが悪くなることはありませんでした。1〜2時間ごとにナースが来室して赤外線温度計で体温と形成した部分を検温してくれましたし、点滴や尿道カテーテルに気を付けてくれたり、寒くないかを訊いてくれたりしました。

 

前回入院時にも驚いたのですが、ナースたちは年々日本語が達者になっています。英語に加えて日本語でも話そうとしてくれるのでついつい甘えてしまい、こちらが英語やタイ語を使おうという努力をしなくなってしまいまして……こんなのは私という人間に限ったことではないかと思うのですが。

 

渡航前に「旅の指さし会話帳」で少しは勉強したのだから、拙くてもタイ語で話してみればよかった。などと帰国後に思っても詮ないことであります。

 


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