入院第1日(手術) [2005年9月4日(日)]

ベッドに入ったのは、現地時間で午前1時頃だったように思う。深くは眠れなかったものの、疲れていたせいか無事に夜の間に眠りにつくことはできた。細切れに眠って、起きたのは午前6時だった。

 

目覚めがあまりよくなくて直ぐに起き上がれず、1時間ほどベッドの中でぼんやりしていた。ホテルの朝食チケットを貰っていたのでダイニングへ行ってもよかったのだが、喰う気になれなかった。

 

喰わなくてよかったのだ。この日は手術当日。水も飲んではいけない。到着翌日が手術日だということは予想できたはずだ。しかし「9月4日に手術をします」とは、誰も言ってはいなかった。

 

下腹部に何となく鈍痛を感じる。何度か経験したことがある、重いような、下腹が内側から引っぱられるような鈍い痛み。そう言えばホルモン剤の投与を中断してから1箇月以上になると思い出した。

 

のそのそと起き出してトイレに行く。ほんの僅かだが出血があった。こんなことをなくする手術を受けようという日に、こんなぎりぎりのときに。勝手に舌打ちが出た。下着を汚すほどの出血量ではなかったから、放っておいた。痛みも気になるほどではない。

 

TVを点けて、流し見ながら身支度を整える。どのチャンネルも、当たり前だがタイ語を喋っている。そんな中に、見憶えのある顔を見つけた。

北村さん、こんなところで!

俳優の北村総一郎さんが映っている。ドラマのようだ。北村さんはタイの仕事もしているのか。そう思いながらよくよく見てみると、北村さん以外の人も日本人だ。ぼくは北村さんがタイの人に混じって出演しているのだと思っていた。

 

映っているのは新しい方(二宮和也くんと深田恭子さん主演)の「南くんの恋人」だった。日本のドラマがタイ語に吹き替えされて放送されている。思わず「へえ」と声に出す。

 

この5日後、退院の日には病院のTVで「ホットマン2」を見た。反町隆史さんや矢田亜希子さんがやはりタイ語を喋っていた。日本のドラマはタイで人気らしい。

 

身支度を終えて、財布を確かめた。昨夜、空港内の両替窓口で10000円を両替して手に入れたのは3657バーツ。

はじめてのバーツ

どの紙幣も日本の札に比べて印刷の色数も少なく、紙質もやけにごわごわしている。「金を持っている」という実感がまだない。これがこの国の通貨であって、ここでは日本円は紙きれ同然だというのに。

 

チップとして50バーツ紙幣をベッドの枕許に置いておく。チップの相場は20〜50バーツほど、札1枚で払えるくらいだとのこと。

 

昨夜ガイドのN氏から指示されたように、午前10時にロビーに行く。背負った荷物が重い。ロビーからはテラス越しにチャオプラヤー川が見える。タイで一番大きいという、茶色く濁った雄大な川だ。観光用の船も走っているらしい。

 

指示の時間よりも少し遅れて、N氏ではなくA社のもうひとりの現地ガイド、M氏が現れた。直ぐに自動車に乗せて貰って、ヤンヒー病院へ向かう。自動車には先にタイへ来て乳房切除術を受けたのだという25歳のFTMくんが乗っていた。今日が抜糸らしい。

 

退院3日めだというのに随分元気だ。手術を受けたことなど、教えて貰わなければ判らないくらい。若いと回復も早いのだろうかと思ったが、手術を受けた者は誰もこのくらいの調子で回復するのだという。

 

病院までの道中でM氏から、日本の某医大でのSRS(性別適合手術)に失敗があったと聞いた。尿道延長術を受けた或るFTM氏の尿道が癒着してしまって、本来の尿道口よりも低い位置にもうひとつ排尿口をつくらなくてはならなくなってしまったのだそうだ。彼はそれ以降の手術を日本で受けることを怖れてヤンヒー病院に助けを求めているのだとか。

 

「日本の医者はマニュアル通りにしか手術をしないから、高い技術を身につけてもそれだけだ。上達しない」とM氏は言った。タイの病院ではたとえどの段階からの手術であっても、最終段階までうつくしく仕上げる手術を心掛けるのだそうだ。巧く仕上げる自信がないときは予め手術を断るらしい。「やるだけやってみます」などとは言わないということだ。

 

ぼくが世話になるヤンヒー病院はとても大きくてきれいな病院だ。

院内を駆け巡るスケーター嬢

病院があまりに広いので、部署から部署へと書類を届けるメッセンジャーはインラインスケートを履いて移動している。上の写真の右端でぶれているのは黄色いシャツを着たメッセンジャーの女の子。患者や職員の間を縫ってスケートで駆け抜けていく。

 

あとで気付いたことだが、「サービス業」であることを意識しているのか、この病院の職員は圧倒的に女性が多い。受付も案内も事務も通訳(ヤンヒー病院には7箇国語の通訳が常駐している。日本語の通訳もいる)もメッセンジャーも看護師も、ほとんどが女性だ。ぐるりと見まわしても男性はなかなか見当たらない。

 

そしてタイの女性は悉く美人だ。但し化粧は少し派手。日本の80年代後半〜90年代半ば辺りに流行った化粧が、現在のタイの流行だとのこと。日本人には派手だが、タイの人の顔だちには丁度いいのかもしれない。

 

ぼくが今回受ける手術は内性器摘出術。産婦人科の領域の手術である。だから産婦人科の待合で診察してくれるのを待っていたのだけど、ほとんど視線を感じない。ぼくと同じ目的の同じ手術を受ける人は、こちらではめずらしくもないのかもしれない。日本で産婦人科の待合にすわっているとじろじろ見られてしまう。連れに女性がいればそうでもないのかもしれないけれど。

 

診察室に入ると担当医師から簡単な問診がある。ガイドのM氏が一緒に診察室に入って日本語に通訳してくれるので受け答えは楽。そして触診。下着を取って検査着のようなものを着けろとタイ人看護師に身振りで言われるが……どうやって着けていいのか判らない。

 

布の筒である。

 

円筒に縫い合わせただけの布を渡されるのだ。どうしていいのか判らず、まだ実際に英語を口にするだけの肚が決まっていなかったぼくは慌てた。もう一度看護師に検査着を見せて首を傾げる身振りをすると、筒を広げて足を入れろと身振りで答えてくれた。

 

スカートのように筒の中に両足を入れて、余った部分は腰の部分に織り込んでおく。これがこの検査着の着方らしい。そう言えば何処かの国の民族衣装で、こんなかたちのものを見たことがある。

 

それを着けて、開脚診察台に乗る。日本の産婦人科のように腰から下をカーテンで隠してはくれない。触診しようとする医者先生とばっちり眼が合ってしまう。しかも両脚の間で。笑うのも変だし恥ずかしがっても仕方がないので黙っておく。

 

例によって医療用の薄いゴム手袋を着けた指を身体の奥に突っ込まれる訳だが、いま更厭だとか不快だとか文句を言う気もない。医者が仕事でやっていることに文句を言っても仕方がないではないか。

 

今朝の僅かな出血も報告したが、子宮や卵巣に異常はないとのこと。そのまま入院する病室へと案内される。1400時に手術室に入ると告げられた。

 

地上8階、1839号室。広い病室だった。ベッドのほかに応接セットと冷蔵庫とクローゼット、TVがある。部屋の奥には別室に繋がる扉があり、そこはトイレ兼シャワールームだ(ユニットバスとは少し違う。湯舟はない)。ベッドが医療用のものでなければホテルと見紛う立派な部屋だ。窓の外にはチャオプラヤー川。

1839号室からの眺望

荷物をクローゼットに片付けて、貴重品は病院に預けるように言われる。旅券と現金、航空券、自宅の鍵、MP3プレイヤを預ける。MP3プレイヤは入院中に使うつもりだったが病院の職員女史が「これは貴重品として預けなさい」という素振りを見せていたのでそれに従った。腕時計と携帯電話も持って行かれそうになったがそれは何とか拒んだ。

 

病院内での会話はすべて英語。タイ語が喋れるならそれがベストだが、看護師をはじめとする病院の職員はみな流暢に英語を話す。中学校卒業程度の英語が話せれば平時は充分である。

 

荷物の整理ができたら入院着に着替えるように言われる。上半身は日本の病院で使われる前合わせの上着に似たものを着ける。下半身は先程困らされた円筒スカート。色はビリジアングリーン。何て濃い色合い。斜めにタイ語が散らばっている。おそらく「ヤンヒー病院」と書いてあるのだろう。ベッドのシーツは文字と地色が逆の配色で、入院着と同じタイ語が散らばっている。

御洒落?な病院のシーツ

この時点で正午。ベッドに横になるように指示され、そのようにすると直ぐに剃毛がはじまる。円筒スカートは便利。脱がなくても寝たまま下半身を露出させることができる。勿論円筒スカートの下には何も着けない。

 

看護師ふたり掛かりでへその辺りから尻の方まで丁寧に剃ってくれる。T字剃刀で、クリームも何もつけずに。ドライで剃られると剛毛がぞりぞりと音を立てる。しっかりと剃ってくれるのでやや剃刀負け気味で、ひりひりと痛い。しかし、毛が生えている辺りにメスが入るので、丁寧に剃っておかなければならない。

 

剃り終わるとシャワールームで洗浄するように言われる。見事につるつるになった自分に驚く。

 

その後は白いカプレットをひとつ服むように指示があっただけで、ベッドに横になったまま時間を待つ。1330時頃にストレッチャーがやってきて、そちらに移動する。ストレッチャーに乗せられて院内を移動。移動風景は救急病院のドキュメンタリを見ているようだった。

 

辿り着いた部屋の扉の上には「OPERATION ROOM」と書かれている。ああ、ここが手術室か。ぼんやり思っているぼくを乗せたストレッチャーはその手前で止まって、白衣を着た小柄な女性が現れる。おそらくタイ人なのだろうが、米国のライス国務長官によく似ていた。その女性がやたら元気に「Can you speak Thai?」と訊ねてくるので「No」と答える。

 

「English?」
「……A little」
「Ok,ok」
随分ほがらかな人だ。

 

あとで聞いたのだが、この女性は麻酔医だったらしい。にこやかに接してくれるので少し緊張が緩んだ。名前を訊かれて、ぼくは少し迷ってから本名を名乗った。ぼくは名を訊ねられたら常に筆名を答えることにしているのだが、この病院には本名で入院しているのだから本名を答えなくてはならない。

 

ぼくの本名は姓も名もこちらの人には発音しづらいだろうなと思った。実際に発音しづらかったようで、病院の人も後に世話になるホテルの従業員たちもぼくの名を巧く言えなかった。

 

手術室には音楽が流れていた。歌詞がない、環境音楽のような曲。手術灯の真下に運ばれ、両腕を真横に伸ばして固定される。乳房切除術を受けたときの記憶が頭の片隅に浮かんで、また少し緊張してくる。それが自分で判って、巧く麻酔が効くだろうかと少し不安になる。

 

しかし、入院着の前をはだけられて、心電図の電極がぺたぺたと貼り付けられたところまでは憶えているが、それを限りにそれ以降の記憶はまったくない。すっかり眠ってしまっていたぼくは麻酔医女史に肩を揺すって起こされた。手術前に告げたぼくの名を彼女は呼んでいた。

 

下腹に鈍い痛みがある。呻くほどではないが「痛み」だと認識するだけの感覚だ。手術が終わったのだと思った。ぼくは麻酔医女史に開口一番に訊ねた。

 

「What time is it now?」
「5 o'clock 10 minute PM」

 

直ぐに答えが返ってきた。1400時に手術室に入ったから、手術は3時間弱で済んだのだと判ったと同時に、日本でよく言われている「掘った芋いじるな」はほんとうに通じるのだということも判った。よく寝たのか、頭はすっきりしていた。

 

目覚めたのは手術室の隣り、処置室のような場所だった。ぼくはそこから病室へとストレッチャーで運ばれた。ストレッチャーからベッドに移るのにぼくは身体をまったく動かせなくて、重い身体を3人掛かりで引き摺って貰った。

 

病室に戻ると直ぐに点滴の針が打たれた。手首の親指側の骨、いわゆる「うめぼし」の真上に針を刺す。日本では先ずそんなところに針は刺さない。手首は手首でも腕の内側に刺すだろう。

>こんなところに針を刺す

しかし、ここに針を刺してサージカルテープでしっかり固定してくれたので、ベッドの上に自然な姿勢で腕を伸ばしておくことができて、点滴が漏れたりして痛い思いをせずに済んだ。

天敵ではなく点滴

点滴は2種類。一方は「ペインフリー」と呼ばれる、術後の痛みを軽減する麻酔。モルヒネ系の薬剤らしい。2000バーツ(約6000円)を支払って「御願いします」と言えばこの処置をして貰えるが、何も言わないとして貰えない。オプションである。痛いのは厭だからぼくは予め御願いしておいた。

 

上の写真の白い四角い機械がペインフリーの薬剤の量を調整する機械で、点滴剤の一方がこのための薬剤。もう一方の薬剤はおそらく栄養剤。手術日とその翌日は絶食(水も駄目)なのでその間の栄養補給をしているのではないかと思う。詳細を訊ねればよかったのだが、それができるほどぼくは英語が巧くはない。

 

術創は鈍く地味に痛み続けたが、2100時頃にはペインフリーが効きはじめてさほどでもなくなった。ただ、腹筋に力を入れることが一切できないので、枕から頭をもたげることすらできない。看護師も慣れたものでそれが判っているのだろう。そうしてくれとも言っていないのにベッドの背を起こして脚も少し上げて(この姿勢がとても楽)、ベッドの上にTVのリモコンとぼくが持参した携帯電話、記録用の手帳を置いてくれた。

 

タイでは衛星放送で海外向けのNHKの放送を見ることができる。看護師がTVを点けてそのチャンネルに合わせてくれる。大河ドラマ「義経」が映った。丁度主演の滝沢秀明くんがアップになったので彼を指差して「He is a Japanese famous actor」と言うと、まだ20歳代になったばかりと思しき看護師は少しはにかんで「handsome」と呟いた。タイの人が見てもタッキーは美形なんだな、と何故だか感心した。

 

TVを点けっ放して一ト晩を過ごす。1時間おきくらいの間隔で看護師や麻酔医女史が入れ替わり立ち替わりやってきて「Do you have pain?」と訊いてくれる。看護師の半数は「イタイ?」という訊ね方もする。看護師は誰も日本語は話せないが「イタイ」という単語だけは知っているようだ。但し、名詞として認識しているらしく「Do you have イタイ?」とよく訊かれた。

 

とにかく誰かしら頻繁に病室に来てくれる。検温と血圧測定も数時間おき。日本の病院だと看護師の絶対数が少なくて、呼ばないと先ず来てくれない。呼んでも来てくれないことだってある。

 

このときはまだ水を飲んではいけなくて、だけど口の中がくっついて開かなくなりそうに乾いていて、ぼくは看護師が来てくれるたびに「I want to wash my mouth」と訴えた。「うがいをしたい」は英語ではこう言わないが、ぼくは正しい表現を知らないのでこれで通した。ちゃんと通じる。口に何か含んでもごもごする身振りをつけたからかもしれないが。

 


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