大雨と錯覚の第6日 [2005年9月14日(水)]

ホテルでの生活にも慣れてしまって、マニエリスムを感じはじめる。目覚める時間も、目覚めた後にホテルのキッチンで摂る朝食のメニューも、朝食を摂った後にシーロム通りへ出掛けて帰宅後に食事と入浴をすることも、毎日ほとんど同じだ。

 

考えられる選択肢はふたつ。

 

滞在期間も今日と明日のみで明後日には飛行機に乗って帰国するのだし、惰性であと2日を過ごすか、何らかの手段で無理矢理にでも日程に変化をつけて残り2日に大波乱を起こすか。

 

ものぐさなぼくは前者を択んだ。だって頚部の怠さと軽い目眩はまだ残っているし、おとなしくしていたいんだよ。

 

しかし、朝食を摂りにキッチンへ出掛けたときに、その気分が少し変わる。外は雨が降っていた。ぼくがバンコクに来てからはじめての本格的な雨。傘が要るほどの。その少し湿った空気に触れると、ちょっと出掛けてみようかという気になった。湿り具合いが日本の空気に似ていたからだろうか。朝食後少し休んで、出掛けることにした。

 

BTSに乗ってサイアム駅に行ってみよう。ここでフットマッサージ店を見掛けたらマッサージして貰って、ガイドブックに載っていたあの店にも行ってみよう。そう思っていた。

 

ぼくが出掛ける時間には雨が更にひどくなって、ぼくはやっと傘をさす機会に巡り会った。傘をさして歩くのも、たまには悪くない。湿った風が緩く吹いているサラデーン通りは見事に冠水していた。

 

冠水サラデーン通り

 

日本よりも段差の高い歩道まで水が上がってきている。段差と段差の間(歩道が途切れた部分)はもちろん水浸しなのだけれど、タイの人は男性はサンダルで女性はミュールで、その水の中を割りと平気な顔でざぶざぶ歩いていた。

 

靴の中や靴下が濡れることを避けようとしている自分が小さく思える。ぼくもサンダルでざぶざぶ歩きたいなあ、と思う。だいたい、ぼくは靴下を履くのが嫌いなんだ。

 

きれいなサイアム駅

 

上の写真はサイアム駅。サイアムはサラデーンの2駅先。BTS路線の乗り換え駅でもあり、「siam」以外に「central station」とも呼ばれる。日本のガイドブックの中には「サヤーム」と書いてあるものも少なくない。この駅の周辺「サイアムスクエア」は観光客だけでなく、タイの若者たち、特に学生が集まる街だ。学生服の少年少女が沢山歩いている。

 

ここでマッサージを……と思っていたが歩いているうちにまたもや目眩がはじまったので諦めて、「あの店」に行ってみる。

 

ほんとにあったぞダイソー

 

これが「あの店」。日本で御馴染みの100円ショップ。日本と同じ片仮名の看板がお出迎え。中に入ってみると……。

 

全部日本語ですか!?

 

日本と同じものがそのまま販売されている。パッケージに印刷されている品名も売り文句も全部日本語。陳列棚には「なんでも、み〜んな60B」と日本語で書かれている。

 

タニヤ通りで覚えた錯覚がより強くなって蘇る。バンコクにいると思っているのは実は偽の情報で、ほんとうはおれは日本にいるのかもしれない。騙されているのかもしれない。そう思う。

 

60バーツは日本円に換算すると約180円。日本で買うより少しお高い。大抵のものはタイで買う方が安いのに、何故この店だけが。

 

これだけで満足したし目眩がどんどんひどくなってくるのでさっさと帰ることにする。サイアム駅に引き返して、構内を横切ってプラットホームへ向かっている途中で、懐かしいようなめずらしいようなものを見つけた。

 

鮨。おにぎり。

 

「OISHI」という日本食レストラン(ファミリーレストランのような気易い店)の出店があった。スーパーマーケットでよく見掛ける、1カンずつが透明のセロハンで包装されていて好きなネタを自分でパック詰めする握り鮨を売る店があった。おにぎりもある。そろそろジャポニカ米が恋しくなってきていたぼくは迷わずそれを買ってからBTSに乗った。

 

これが買ってきた鮨。

 

タイの握り鮨

 

久々に喰った鮨は、ジャポニカ米の懐かしさも手伝って、うまかった。イカの下に透けて見えるのは生たらこ。箸を付けてくれるが割り箸ではなく竹の箸。練りわさびと醤油もくれる。わさびは日本の練りわさびよりもつんとする。かなりきつい。日本の練りわさびと同じつもりでつけたぼくはむせながら涙を流す破目になった。でもうまかった。

 

鮨を喰ってからはリビングでCDを聴いていた。ジャポニカ米に満足したのか、疲れ気味だった気分が昂揚してくる。

 

日本から持参したCDは先に述べたようにすべてB'z。「GREEN」と「BIG MACHINE」、「THE CIRCLE」。持ってきてよかったと思う。特に「GREEN」は、以前に聴いたときとまったく違うものに思えた。

 

実はぼくが「GREEN」をはじめて聴いた頃というのは精神的にかなり参っていたときで、そのせいかこのアルバムも「怪ッ体な曲ばっかりや」くらいにしか思えなかった。それが、いま聴いてみるとどの曲もみんな力強くて恰好いいではないか。聴いていると勝手に身体が動き出す。

 

「怪ッ体」だったのは当時のぼくの状態だったのだと当時の自分を悲しむと同時に、「GREEN」の恰好よさに気付くことができたこと、当時よりも元気な自分をよろこぶ。

 

B'zを聴いてリラックスして、早めに床に就いた。比較的早く眠れた。

 


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