乳房切除術(1998年3月)

手術に至るまで

1998年頃というのは、インターネットが普及しはじめの頃で、2000年代に入ってからのように、どの家庭にもインターネット環境があるというような時代ではまだなかった。私の住環境にもインターネットはなく、ホルモン治療をしてくれる病院も、乳房切除術を施してくれる病院も、職業別電話帳でめぼしい病院をピックアップして片っ端から問い合わせ電話をかけるという方法で探し出した。この頃はまだ海外で手術を受けようなどとは微塵も考えていなかった。

 

職業別電話帳を見てはじめて知ったのだが、私が住んでいる街にも、しかも自宅近辺に、 美容整形外科の病院があった。そこに電話して、カウンセリングの予約を取った。近県の通えそうな範囲にも乳房の手術をしてくれる病院はあるようだったが、できるだけ自宅近くを択びたかった。会社勤めをしていたから、会社帰りにでもケアを受けられるようにしておきたかったからだ。

 

先ず自宅から直近の病院にアクセスして、どんな病院か見ておこうと思った。予約を取って、カウンセリングを受けることにした。そこで様子を見て病院の様子が怪しければ、次に近い病院にアクセスしようとピックアップしたリストは大事に収っておいた。


病院にて

予約の日時に訪れたその病院は規模は大きくはないが小綺麗に整っていて、受付や看護師の対応も好ましかった。カウンセリングは院長が行なってくれて、私の患部(胸部)を見た上でそれまでの症例写真を私に見せて、どんな術式を行うのか説明してくれた。乳房切除の手術をこの病院で受けた人は少なくはない、大阪の方からも大勢来ている、という説明があった。親切な対応に思えたので、この病院で手術を受けることにした。

 

但し、この時点での私には手術を受けるに充分な金はなかった。術式や手術の段取りと併せて必要な費用と支払い方法を訊いておいた。病院がローンを扱っているというので、それを利用して支払おうと決めた。手術はこの2週間後に受けることになる。

 

思えば短絡的な行動だった。手術を受けるとはどういうことなのか、手術を受けたら身体は、生活はどうなるのか、もっとよく考えるべきだったのだが、このときは乳房というふくらみを身体からなくしたいばかりだったのだ。

 

この病院の手術日は金曜日と決まっているとのことで、私が予約を取ったのも金曜日の午後だった。指定された日時に病院に入ると先ず診察室に通されて、胸を見せることになった。診察医つまり執刀医は院長ではなかった。

 

胸を見せると医師は緑色の油性マジックで私の身体に直接、切開する予定の線を描いた。そこではじめて私はU字切開をするのだと知った。「U字切開」という言葉を知るのはもっと後のことだ。知識不足だったと言える。知識不足のためか、手術に対する恐怖心はまったくなかった。

 

マジックで線を描いた後、直ぐに手術室に通された。

 

診察室から自分の足で歩いて行った。直ぐに上衣を脱いで手術台に仰臥するように指示があり、そのようにした。予めの検査など一切なく、診察室を出た足で手術台に辿りついた。執刀医は先刻私の胸にマジックで線を書いた医師と、別のもう一人と、二人いた。


手術室にて

手術台に寝ると先ず両腕を左右に広げて寝るように指示があった。手術台からは身体の左右に補助台が出ていて、私はその上に両の腕を伸ばした。すると医師が補助台に紐で私の手首を縛りつけた。両脚も揃えて台に縛られる。何ごとかと思ったが問わなかった。

 

ここではじめてほんの少し、恐怖心が顔を見せた。もう逃げられないのだと思うと同時に、私は幼い頃に見た「仮面ライダー」のオープニングを想起した。主人公が手術台に磔にされて改造手術を受ける場面が挿入されている。

 

まるでその場面にいるようだと思っていると、今度は脛に重りが乗せられた。重さ30kgの砂袋のような重りだ。「身体が動かないように」と医師が説明してくれたように記憶している。腕を縛りつけ足に重石をしないと暴れてしまうかもしれない手術を受けるのだ、もう逃げられないのだと思うと幾らか緊張してきた。

 

襟許辺りに小さなカーテンが引かれ、術野が見えないようにされた。胸にひんやりとした感触があって、私は消毒を受けているのだと思った。冷たい消毒液で胸を広く拭われ、それから「麻酔しますよ」と告げられた。

 

 

麻酔は局所麻酔だった。先に描いた切開のための線に沿って、何本も注射をされた。普通の注射とは違って、長い針を身体の奥深くにまで差し込まれるような感覚と痛みがあった。実際に針が長かったか深くにまで刺されたかはカーテンで隠されていて判らない。

 

の注射がとても痛くて、痛いばかりで実際に何本注射したのか数えてなどいられなかった。麻酔注射を打っているのに、時間が経っても感覚がほとんど鈍くはならなかった。だから、手術はいきなりはじまったように感じた。

 

何本もの注射を打って間もなく、医師が何かで私の胸に触れた。「何か」がレーザーメスだと判ったのはもう少し後のことだ。
「これ、痛い?」
と訊ねられ、私は反射的に早口で答えていた。
「痛いです!」
「おかしいな」
私の返答を聞いて医師は不可解そうな声で言った。そんなことを言われても痛いものは痛いのである。しかも激痛である。当然だ。麻酔も効いていない身体をメスで切られたのだから。

 

しかし医師は続いて信じられないことをした。
「もう直ぐ(麻酔が)効いてくるからね」
その声が聞こえて直ぐに先刻と同じ痛みが胸にあった。切開を続けられたのだ。

 

手術は続行。痛みで私は全身を力ませていた。そうしないと耐えられない。腕を縛られていなければ、足に重石がなければ、手足を振りまわしていたかもしれない強い痛み。それは時間が経ってもなくならなかった。麻酔が効いてこなかったのだ。

 

この頃の私は不眠が続いていて、別の病院で眠剤を貰って服んでいた。この眠剤と麻酔剤がバッティングしたため、麻酔が効きづらかったのだ、しかしこれも後に振り返って判ったことだ。このときはそんなことを考えてはいられない。精神科で薬を貰っている人は麻酔剤とバッティングしないか手術前に充分に確認することをおすすめする。

 

レーザーメスのちょっと焦げたような微かな匂いと、シャキシャキという鋏の音。乳房下部をU字に切り開き、中の乳腺を切り取っている様子だ。二人の医師が左右の乳房それぞれを同時に手術している。その間中、私はずっと全身を力ませて何とか耐えようとしながら、痛みを訴え続けた。その度に麻酔剤を追加してくれていたらしいが、私が感じている痛みは終にやわらぐことはなかった。

 

手術がはじまって暫くして、襟許のカーテンが除けられて、問い掛けがあった。
「これくらいでいいかな?」
どうやら胸のふくらみの除去具合いを訊かれたらしい。
「肥っているし、あんまり平らにしない方がいいよね」
平らにしてほしかった。しかし、それを口に出せないほど、痛かった。とにかく何でもいいから手術が早く終わってほしいと思った。

 

再度カーテンを襟許に据えられ、手術は続いた。はじめに乗せられたとき重いと感じた30kgの重りは、そうとは感じなくなっていた。台に縛りつけられた上で重りを乗せられているが、もし縛られていなかったら私はきっと30kgを蹴り飛ばしていたことだと思う。

 

やがて切開部を縫合されたが、その間もやはりずっと痛いままだった。術式の最初から最後まで痛くない時間などなかった。

 

縫合が終わると傷の固定などの処置を施されて、手術は終了。カウンセリングでの話ではそのまま退院して自宅に帰れるとのことだったが、私は1時間ほど横になるようにと指示を受けた。使用した麻酔剤の量が多かったので覚めてしまうまで時間がかかるから、それまで安静にしておきなさいということだった。

 

確かに幾らか朦朧とする。しかしそれは麻酔のせいではなく、術中ずっと全身を力ませ歯を食いしばっていたせいだと私は感じていた。

 

安静にしている間、院長が様子を見に来た。余程、麻酔を沢山使ったのだろう。心配して見に来たのだと言っていた。
だが、私は一時間経たないうちに頭がしゃきっとしてきたので、早々に帰宅する旨を医師に申し出た。意識がはっきりとしているので、寝ていても暇でつまらないだけだった。早く自宅に帰りたかった。

 

自宅までの道を、私は歩いた。徒歩で行き来できる程度に病院は近い場所にあった。ただ、歩くだけの振動であっても、それが縫合痕を開かせてしまうのではないかという恐怖心は、手術をうけるときのそれよりも強かった。そっと、そーっと歩いて帰った。普通に歩いたときの三倍は時間をかけて帰ったのだと思う。


退院後

退院時に抗生剤と痛み止めの薬を貰った。抗生剤は一日3回毎食後に、痛み止めは頓服として痛みがひどいときに服むようにとのことだった。手術の予約時間は午後1時、自宅に帰り着いたのは午後5時頃だった。縫合が終わってからは鈍い痛みが微かにあるだけで、術中の痛みはうそのようだった。

 

帰宅して直ぐに軽く食事を摂って抗生剤を服み、手術についてのことをまとめてノートに書いた。このときの記録は、残念ながら手許に残ってはいない。何のための記録だったかというところだが、仕方がない。

 

1時間かもう少しか、書きものをしていた。その間も縫合した傷が開くのではないかと怖かったので、胸に枕や座布団をあてがって圧迫しながら書いた。そうしていれば痛みも恐怖心もましだった。

 

しかし、時間を追うごとに痛みが増してきた。日が暮れる頃、痛み止めを服んだ。しかし痛みは引かない。書きものをしていられなくなり、横になってTVで気を紛らわせようとした。横になるのも気が気でなく、やはり座布団で胸部を圧迫するように姿勢を工夫してベッドに横たわった。ずっと痛いような気がしていたが、TVを見ながらいつの間にか眠ってしまっていた。痛み止めはきちんと効いたようだ。

 

目が覚めて翌日早朝、痛みはましになっていて、痛み止めを追加して服む必要はなかった。午後、陽が傾いてから、気分がよかったので散歩に出掛けた。歩く振動が傷に響くのではないかという怖れは退院時と同様にあったが、無事に近所を一周して帰ることができた。更に翌々日には、自動車を運転するまでに回復したが、これは先走りすぎたのではないかと、いまとなっては思う。もっと長い時間安静にしているべきだった。

 

術日の3日後、月曜日にはいつも通りに会社に出勤した。会社には手術を受けることを伝えてはいなかったから、平常を装って仕事をした。傷は幾らか痛んだが、15kg程度の荷物を幾つも運ぶ仕事を何とかこなした。術後の傷が開くのではないかという怖さは日に日に薄れていった。

 

手術から2週間後、病院に行った。院長の診察だった。包帯やガーゼを取って縫合痕を見た院長は「よし!」と呟いた。それを耳に拾った私は、手術は成功して傷痕もきっと残らないのだろうと勝手に思った。しかし、傷は巧く塞がって順調に身体も回復したが、U字切開した傷痕は15年以上経っても残ったままである。


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